おはようございます。 青空の札幌ですが、これからお天気は下り坂。 明日は祝日ですが、雨マークが・・・。
何処にも行かないですが、お天気がいいな・・・。
「富士そば」はご存知でしょうか?。 東京に行くと見かけるのですが、ここ札幌には店舗ないのかな・・・。
国内133店舗あるそうですが、ほぼ関東圏なのかな・・。関西はわかりません・・。
テレビでも時々会長をみかけますね。長身でメガネをかけたハキハキとした方。
その「富士そば」は元々、不動産業だったと知っていました?。
1960年、3人の共同経営者と不動産業を営んでいたそうです。 そのころ不動産業は絶好調で、大きな山を買って羊羹のように切って売るだけで、お金がどんどん入ってきたそうです。
月の売り上げは30億円。毎日1億円の現金が入ってくるので、銀行が会長専用の窓口をつくってくれたそうです。(凄い!!)
ウハウハの不動産業でしたが、会長はどこか「こんな商売は麻薬だ。ありえない」と思っておられました。
それは会長が10代の頃八百屋、油屋で丁稚などをしていて、稼ぐことの大変さを身に染みてわかっていたのです。 ボロ儲けできる商売は、絶対に長続きしません。いずれダメになるのだから、そのときに備えて堅実な商売をやっておかないといけない。
そう考えて、仲間に立ち食いそば屋を提案したそうです。
そのころ東京には立ち食いそば屋がありませんでした。会長が新潟か福島を旅行したときに駅のホームで見かけたがキッカケ。
あの業態は、みんな忙しく動き回っている東京のほうが合うはず。仲間をそう説得して、4.5坪の店舗を開店。
目論見は当たって、すぐに1日1000人の人がやってきました。軌道に乗って、新宿、池袋、西荻窪にも立て続けに出店。
しかしこの「富士そば」出店にはかなり厳選するそうです。立地や条件を。
やみくもに出店し失敗すると、違約金は払わなくちゃいけないし、従業員を遊ばせることになります。 1つ失敗したら、それを取り戻すのに相当な時間がかかります。 そう考えると、失敗を覚悟して慌てて出すより、遅くても絞りに絞って出店する経営をしています。
また会長は一度経営から退こうと準備をいていました。
2003年頃60店舗に達し、「ここまでくれば、もう食うには困りはしない」と昔からの夢「作詞家」になろうと。
そのことを知人の相談すると「君を信頼して働いている人はどうなるんだ」と叱られたそうです。
ハッとしたそうです。自分のやりたいことしか考えていなかった、それは無責任だと反省して、作詞家の道はきっぱり諦めたそうです。
経営とは自分だけでは無いのですね、従業員やその家族もいます。 大変なこともありますが、幸せなこともたくさんあります。