おはようございます。 今日は22日。 そう、あと2日でクリスマス。 あと10日で今年も終わり。 早い、早すぎる。
昨日のブログは大通りで開催のオリンピックのお話。
今日はその大通りのお話。
大通公園はもともと「火防線」だったことはご存知でしたか?。 (私は、知らずタクシーの運転手さんに教わりました・・・)
「火防線」とは火災の類焼を防ぐ目的。
1871年に北の官庁街と南の商店・住宅街の間に幅105メートルの道路を整備します。
この大きな敷地を公園として利用しようとする動きが本格化し、1909年より3年をかけて整備をすすめます。
その後も整備を進め1926年には現在の札幌市資料館(素敵ですよね!)も完成。 ほぼ現在の大通公園の姿になりました。
やがて第2次世界大戦に突入し管理に手が回らなくなり「荒廃」し、公園は食料不足の為ジャガイモ畑になります。
その後、進駐してきた連合軍総司令部が、西4丁目に野球場、西5丁目にテニスコートを設け市民に歓迎されます。
1950年には第1回「さっぽろ雪まつり」が開催。雪像は中高生が制作した6基でしたが、5万人もの観客が集まりました。
1957年にはそれまで中島公園がメイン会場だった「ビアガーデン」が大通公園に移します。
その後も、「ライラック祭り」「ホワイトイルミネーション」「YOSAKOIソーラン祭り」「オータムフェスト」と今ではイベントのめじろ押ですね。
そして、2020年はオリンピックの開催。
100年後の大通公園はどんなカタチ、思い出が詰まっているのでしょう、楽しみですね。