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「自分には自分の知らない自分がある」

おはようございます。 快晴の札幌、気持ちいいですね。

 

今日は久し振りに野球のお話。

先日、お亡くなりになりました「野村克也」さんのこと。

監督としてリーグ優勝5回、日本一3回、名監督として知られる野村監督ですが、選手時代も輝かしい成績を残されています。

本塁打王は9回、打点王7回、首位打者1回、MVPも5回。通算の本塁打、打点、安打はいずれも歴代プロ野球選手の第2位で、三冠王にも1度輝いています。 凄すぎますよね、 今の時代だったらスーパースターです。

 

野村監督はドラフトで指名され入団したのではなく、なんとテスト生としてプロ野球球団に入団しているのです。当時は、テスト生から1軍のレギュラーになった野球選手など、皆無でした。

 

テスト生の特権はどこでも好きな球団を受けられること。 当時新聞配達のアルバイトをしていた監督は日々新聞をチェックしてあることに気づきました。

巨人ファンだった監督は、当時巨人には甲子園のヒーローが鳴り物入りで入団した若い捕手がいたのです。

ポジションがかぶってします。 「そんなところに入ってもチャンスはない」 と巨人のテストを受けず、

テストを受けたのが、南海(現ソフトバンク)ホークス。レギュラー捕手が、引退まであと数年というベテランでした。「2軍選手をしっかり育ててくれるケチな球団だという評判もあった」と南海に入団

 

ところが、テスト生から入団して、たった1年で引退勧告を受けてしまったのです。監督は、その勧告を簡単には受け入れませんでした。まだ試合で使ってもらったこともなかったからです。

納得がいかないと懇願して球団に残してもらいましたが、このときは絶望の淵に追いやられたといいます。窓もない合宿所の3畳の部屋で、将来を考えると不安でした。何しろ、テスト生から1軍のレギュラーになった前例は誰もいなかったのですから。

 

「努力するしかない」。そう覚悟した監督は、合宿所の庭で誰かが200回素振りをしていたら、400回素振りをしました。誰よりも長くトレーニングを続けました。1軍なんて雲をつかむような話。ただ、努力は天才に勝ると信じるしかありませんでした。

そして1歩1歩、少しずつチャンスをモノにして、1軍入りを果たすのです。

 

その後選手を引退して監督へ。 後に、ベテラン選手を復活させる巧みさを評して「野村再生工場」を建設、笑。

「あるピッチャーは速い球を投げようとしゃかりきになって投げ込みをしていました。 でも、誰もが速い球で勝負する必要はない。 球が速くなければ、コントロールで勝負したらいい。なのに、そのための努力をしないわけです。要するに、努力の方向が間違っているんです。それをちょっと修正してやれば、結果は一気に変わる」

 

「考えもせず、ただ本能のままにやっていても結果は出ない。大事なのは、考え方なんです」

 

スポーツも会社経営も同じですね、大事なのは、考え方なんですね。

 

最後に、野村監督の運命を変えた言葉

「自分には自分の知らない自分がある」